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Conversations With Myself

ありがとう。友蔵 

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2018年4月25日午前2時、友蔵は私の腕の中で息を引き取りました。

友蔵とは1999年にアリゾナ州のインディアン居住区、Kayentaで生後一月も経たない子猫の時に出会いました。モニュメントバレーの帰り道、休憩した駐車場で私の車の下で友蔵は暖を取り始めました。

その日はこれから雪が降るとの予報。通り過ぎていくアメリカ人のおばさん2人が今夜で死んじゃうかもねと話しながら私たちの横を通り過ぎたのを憶えています。

日本への帰国が約1ヶ月後に迫る中、当初はその時住んでいた暖かいGlendaleまで連れて行って離してやれば生きながらえるだろうという気持ちで車に乗せました。
しかし片手に乗るような子猫をまた捨てることなどできず、日本に連れて行く覚悟を決めて必要な予防接種を受けさせ日本に連れて行ける証明書をもらいました。

その後すぐロサンゼルスで結婚式を挙げ、両家の両親を連れてロス、モントレー、サンフランシスコ、ナパなどを車で観光した際も友蔵はずっと一緒でした。

成田空港で検疫のため半月間預けなくてはならず、迎えに行った際にはこれが友蔵?と思うほど大きくなっていました。。。



それから19年間、友蔵は濃密で幸せな時間を与え続けてくれました。
今年の1月まで友蔵は22歳くらいまでは生きてくれるのでお別れなんてまだまだ先だと信じて疑いませんでした。

毎晩腕枕でゴロゴロ言いながら寝ていた友蔵の口臭がきつくなったのは1月初旬。
なんで臭いんだろう?もう暫くしたら獣医さんに連れて行ってみようかな・・・
そんな風に思いながら伸ばし伸ばしにしていたところ突然鼻から出血。

慌てて獣医さんに連れて行ったときには加齢もあり完治可能な治療ができない状態までになっていました。それでもできる限りの治療をすればまだまだ長生きできると信じていました。

口臭がきつくなった直後に病院に連れて行けば何か治療ができたかも。そのことは悔やんでも悔やみきれません。

日に日に弱っていく姿を見ながら別れの時が迫ってきていることは分かっていましたが、友蔵のいなくなった生活が全く想像できず、自己暗示をかけるように友蔵は回復するんだと思い込むようにしていました。

しかし口内炎から顔の右半分が溶けたようになって失明までしてしまい、1日に何十回も痙攣して苦しそうな姿を見ていると、薬で無理矢理生かしているのは友蔵にとって幸せなことではないような気がしてきました。

それでも別れたくない気持ちで可能な限りの延命措置をとってしまいました。
最後は2人で看取ってあげたくて、とにかく一緒にいる時間を長くとりました。
できるかぎり可愛がってあげました。
おかげで最後は2人に看取られながら私の腕の中で逝かせることができました。



友蔵は「幸せだったよ」といってくれるような一生を過ごせたのかな。
幸せだったよね?

友蔵 本当にありがとう。
安らかに眠ってください。

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thread: 猫のいる生活  -  janre: ペット

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